今日の仏教学担当の先生は、初めての先生だった
これがなかなかのクセ強だった。
この先生が話すことは、私のなりたい姿ではないと感じた。
だけど、これは違うと思い切って、その先生の話を聞かないというのは、自分が小さいなと感じた。
お話のかけらをヒントに、何か学べることがあるはずだと思った。
先生によって、この先生の話は良い、この先生の話し方は合わない、と何かの区別をつけている。
その区別をする分け方とは、自分の中にあるはずなのだが、感覚に頼ってばかりだった。
私はこの身に響く話がききたい
この身に響く話って何なのだろう
今日の授業は、ブッダがどんな過程で覚めたのか。悟ったのか。
ブッダは何を悟ったのか。
授業では、ブッダは病、老、死の苦から覚めたという。
我々はただ念仏を唱えるだけで救われると。
これを知っても、この世の中を生きていくのに悩みは消えないし、苦しみも消えない
念仏を唱えてもよく分からない、呪文を読んでいるようだと私は思う。
もっと何かあるはずだ。
根元に、深いところに、悩みや迷い、苦しみの根源となるものが。
それをまず知らなければならないのかもしれない。