何をするにも過去の記憶が蘇り、
これまでの私の選択は間違っていたのではないかと疑いが入る。
どうして今私はこんなにも孤独で寂しい想いをしているのか。
幸せになる道を選んできたはずなのに
今よりも、私が手放した過去の方が幸せだったんじゃないかと昔の記憶に縋り付く。
あの人は私ではない誰かのことを想い、幸せに暮らしているのだろうか…。これは五月病と呼んでいいものなのだろうか。
そんなマイナスなことを考える中、本屋で目に止まった樹木希林さんの本「樹木希林 120の遺言」を手に取り、彼女の生き様、発した言葉を受け止める体制になっていた。
この本を何周か読んで、見て、心に留まった言葉がいくつもあった。
正直、読む前と読んだ後では気持ちの持ちようが違った。
後ろばっかり向いてたのが、少し前に向いた。前を見ないといけないのは十分承知していたのだけど、一体何を見ればいいのか具体的な答えが欲しかった。
答えは意外と、どれも前から分かっていた事だった。だけど、それが今必要なのか否か分類ついておらず、頭の片隅からも押し出されそうになっていた。
「そうだった、そうだった」の繰り返しだ。
私は今孤独で寂しいのだけれど、それは彼氏がいないからじゃなくて、家族の存在でも、友達の存在でもない、今は一人でも二人でも、何人でいても寂しいんだ。
そんな時期があるもんだった。そう思い出した。
そう分かるとほんの少し、前向きな気持ちになれた。夕方に畑に向かい、仲間との約束を果たす。昼間は真夏日のようで日差しが差すように暑かったので、とてもじゃないけど私は畑作業は出来なかった。
夕方のこの時間は、何処からかそよぐ秋のような風が柔らかく吹いて、日差しも辺りを色づかせて心地よかったから、ノコギリがまを手に取って少し草を刈ることにした。
少し前に刈った草もまた10センチ程伸びていて、また根本から3センチ程の所で刈る。
そしたらコロンと小さな亀が転がった。
茶色くて、小さくて、尻尾が長い。
パッと見て、これはきっとクサガメかな?と思う。
実は先日、もともと飼っていたミドリガメが、コツンと姿を消した。多分、猫かヘビに連れ去られたんだと思う。
家には空いた水槽だけが残っている。
また、あの水槽に入れてあげようか、この子は生まれ変わりのように現れた。そう思ったけれど、すぐにそれはダメだと感じる。
また小さなカメだから、狙われるに違いない。今度は部屋の中で飼おうと。なぜか飼うことは私の中でもう決まっていた。